アレハンドロ、マット、フォーシング。
『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』(原題:”Sicario: Day of the Soldado”)。
映画館に行けず心待ちにしていた配信日、0時になったと同時に即見ましたよ。
・やっぱりこの物語が、人が好きだ
最初に見た時は、前作とどうしても比べてしまい、「あの時の感動」は目減りしたかな、と思っていたけれど。
改めて噛みしめると、また違った味わいがある、というか、もはや作品としてどうというよりも、マット(ジョシュ・ブローリン)、アレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)、そして(スティーブ・)フォーシングに心とらわれていることを痛感した次第で。
思えば、前作『ボーダーライン』(原題:”Sicario”)では、その感動がロジャー・ディーキンスによる圧倒的に美しい撮影と分かちがたく繋がっていたので、それがなくなってしまった続編は、決して美しくないという訳ではないのに、どことなく目減りしてしまった気がしていたのだ。
加えて、前作では容赦なく子供にも手をかけていた、復讐の鬼と化したアレハンドロが、今作では情けのようなものをちらつかせている。これにも最初、肩透かしをくらった気分というか。復讐大好きっ子からすると、これは復讐のカタルシスは望めないのかな、と、一抹の寂しさを覚えたのは否めない。(あ、でもアレハンドロのあの衝撃の撃ち方、あれは何度も再生してコーフンさせていただきましたw 普段眠そうなデルトロの目が、カっと憎しみに見開かれたあの表情、さすが。)
でも、なんかそういうこともどうでもよくなった、というよりは、その前作との違和感の理由でさえ、作品のつくり云々から考えるのではなく、完全に物語に没入してあれこれ類推して余韻に浸るという、これはまさに脚本テイラー・シェリダンの術中にはまったな、という結果に相成ったのである。(こんなことってアメリカリメイク版『The Killing』や『ブレイキング・バッド』以来かも、と「物語を旅する醍醐味」を久々に味わって、幸せな気分に浸ったのだった。)
例えば・・・
アレハンドロやマットが今作では一縷の人情らしきものを垣間見せた理由。
前作では完全に目的がはっきりしていたアレハンドロ、すべてはその目的のための行動であり、遂行するためにはどんなことも辞さないという決意があったように見えたが、今作では、結果として復讐につながるとはいえ、その手段があまりにも卑劣だし、そこまで堕ちたくないというプライドがあったのだろうか。とはいえ上(アメリカ)やCIAのやり方が卑劣なのは百も承知だろうから、前回の諸々(敵の家族を殺めたことや、ケイトへの仕打ちなど)で、ちょっともうそういうダーティーなことにも疲れてきたのか。はたまた、国同士の汚い工作や都合のよい朝令暮改っぷりやそれに振り回される汚れ役に嫌気が差したか(マットはきっとこの部分が大きいのではないかと思う)・・・。そして、力強い眼差しの、賢い娘に自分の娘、あるいはケイトを重ねたか。
などなど、完全にアレハンドロやマットがリアルに存在しているものとしてしみじみと考えてしまうのだ。
決して「なんか前回と矛盾してて脚本失敗だな」などとメタに考えるのではなく、こんな風に物語に没入してあれやこれやと思いめぐらすのは快感そのものだし(むしろ永遠に考え続けたい)、三部作ならば、是非次の作品でまた二人の変遷を目撃し、その理由に思いを馳せたいと切望させるほどの作品世界だと改めて思うのだ。
と、真面目に語るブログでもないのでここからは例によってミーハー話に。
・クリカンやるじゃねーか!!
冒頭でも挙げた、虜になったもう一人、それはフォーシング。
前作で、セリフ自体は少ないし映る場面もそう多くないのにも関わらず、個人的にはめちゃめちゃ心惹かれたフォーシング。なんかもうすっごいリアルにクールなCIA(でいいのかな)感がビンビンで、演じるジェフリー・ドノヴァンといえば『バーン・ノーティス』→クリカンだったわけですよ。だからもう「クリカンやるじゃん!!」と一気に見直しちゃって。いや、別に見下してたわけじゃないんですけど、クリカンからの冷徹、っていうこの落差にやられちまって。
だから、この続編でも、実は密かにフォーシングのことが気になっていたわけです。
そして!!そんな私のような隠れフォーシングファンの気持ちを汲み取ったかのようなサービス・ショット!!!
ホテルで麻薬カルテルのボスの娘を誘拐する準備をしているプロの皆さん。
そこでクリカン改めフォーシング!!
なんと高級ホテルのアメニティーを全部バッグにイン!!
武器の準備するかと思いきや(いやしてるとは思うけど)、しれっと備品を持ち帰ってるよ!!
良く見ると使ってないからw、何でしょう、家族がいるとして、奥さんへのお土産とか?www
はたまた自分が旅行行ったとき使うんでしょうかね。
見た時「せけー!!!」と思うと同時に、なぜか不思議な安堵感というかマッチ感がありましたね。「ああ、私のフォーシングだな」と。
絶妙にフォーシングの人となりを端的に表したこの一瞬、脚本にちゃんとあったんでしょうかね、それともクリカンのアイディアなのかな。いずれにしてもブラボー!
あとはね、アレハンドロがまさかの場面に出くわした(一応ネタバレを避けます)ときに、上空で見守っていたフォーシング、すっごいゲスな発言したな!やっぱり冷たいプロだなお前!!と思ったんですけど、よくよく聞いてみると、
”Glad we didn't have to do that. ” と言ってますよね(細かいとこ違ってたらごめんなさい)。これをよく噛みしめると、日本語字幕で最初に感じた冷たさよりも、もう少し血の通ったニュアンスがあるように思いますね。やっぱりフォーシングだってアレハンドロに何かしらを感じていたんだなと。
何はともあれ、ますますフォーシング好きになりましたよ。次があるとしたら、絶対にフォーシングは続投してほしいです。
あとは細かい小ネタ集。
・今回も勉強になったのは、”Green-on-blue”という表現。マットたちが娘を伴ってアメリカに移動するときに、味方だったはずの連邦警察に攻撃されちゃってやむなく撃ち返すんだけど、それをシンシアに責められて、マットが反論しているところで使われていたフレーズ。「あれは”Green-on-blue”だったんだ。アフガニスタンみたいにしたかったんだろ?!」と英語では言っていたのだ。日本語だと返り討ちされた、みたいに言っていたと思うんだけど。気になって調べたら、とても詳しく分かりやすく解説してくださっているサイトを発見。
「insider attack “green-on-blue attack”とは何か?」
http://masahironakata.blogspot.com/2012/12/insider-attack-green-on-blue-attack.html
これによると、blueは味方、greenは味方の協力軍、redが敵なんですね。だからgreen-on-blueは、アメリカに協力してくれてるはずのメキシコ連邦警察が攻撃してきた、という意味になるのだ。なるほど!こういうのを”insider attack”というらしい。
さらにさらに、「イスラム原理主義武装集団タリバンと戦闘を続けるNATO(北大西洋条約機構)軍で、共同戦線を張ってきたアフガニスタン治安部隊のinsider attackによって死傷兵が続出する事態(2012年のBBCの報道)」と紹介されている。これで、マットの「アフガニスタン」への言及の意味もわかる。
・「声に出して言いたい英語フレーズ」集にまた一つ
”You gotta do what you gotta do.”
一方的に作戦のshut downを告げられ、それをまたアレハンドロに伝えるマット。
娘に手を下すことはできないと答えるアレハンドロに、「手伝えない」とマット。お互いの心情は痛いほど分かっている。けれど言わない。そしてアレハンドロが放つこの言葉。よく洋画や海外ドラマで耳にするフレーズだけど、今回のこれがもう、沁みたねえ~。「お前は自分のやるべきことをやれ」という言葉に、マット(が心ならずも命令に従わざるを得ないこと)への理解と、やはりささやかな絆のようなものを感じずにはいられなかった。ラスト、結局娘を保護し、ヘリに揺られながら、彼女を見つめるマットの目がわずかに潤む。このとき彼の脳裏にはアレハンドロが浮かんでいたのではないだろうか。そして目をそらし、小さく首を振る。「ああもうこんな茶番はたくさんだ」と言っているかのように。
この表情と、ラストシーンのアレハンドロの表情。二人は間違いなく、一作目、二作目とはまた異なる心境を持ち、異なる状況に立たされるだろう。彼らがどんな運命を辿るのか、次回作で見届けたい。